ごあいさつ

民謡一家3代目 佐藤仁一

民謡一家3代目で代表をしております佐藤仁一です。
我が家民謡一家は昭和23年に活動開始し、山形県米沢市を拠点に米沢・山形・全国の民謡、和太鼓などの郷土芸能を今へ伝える活動を家族でしています。
各イベント出演、慰問活動、太鼓・民謡・三味線教室など活動内容は多岐に渡ります。
活動実績として、矯正施設慰問での法務大臣賞を3度、米沢観光キャンペーン活動、大河ドラマ「天地人」バックサウンド、テレビ・ラジオ出演などがあります。
和太鼓・民謡・三味線を織り交ぜた、一家での唯一無二のステージを披露しています。
地元米沢に寄り添い、祖父母・伯母・父母から紡いできた米沢の祭りの音を守り、時代とともに変化していきながら「行く先々の水にあわねば」をモットーに日々精進していきます。

民謡・和太鼓・三味線の音
日本人が忘れかけていた何かを呼び戻してくれるような、懐かしい響きがある。
音は言葉を持たないだけに、想像力をかきたて、胸に響き、心もおどり、そこには……
「新しいART」ともいうべき世界が広がる。
【心に響く、芸がある】

沿革

民謡一家の歴史

昭和23年(1943年)
初代代表(佐藤幸吉郎)とその妻(みちゑ)のデュエットで発足し、その後子供たち(洲美江、幸江、順子、仁)も加わる。
米沢市民盆踊りを開催し、米沢盆唄を復活させる。(民謡一家を主に、米沢盆踊り保存会発足)
昭和33年(1958年)
上杉神社臨泉閣にて初舞台、大好評を博す。
(当時の保護司会会長から刑務所慰問の依頼があり、ここから全国での活動が始まる)
昭和43年(1968年)
刑務所慰問に対し、法務大臣より感謝状受賞(1度目)
昭和45年(1970年)
山形県知事より功労者表彰を受ける。
昭和45年(1970年)
米沢上杉まつりに「上杉太鼓」が加わる。
昭和48年(1973年)
米沢上杉まつりの川中島合戦が始まり、佐藤幸吉郎が初代上杉謙信役を務める
昭和49年(1974年)
刑務所慰問に対し、法務大臣より感謝状受賞(2度目)
昭和58年(1983年)
首都圏への上杉まつり観光キャンペーンがスタート
(ここから米沢の観光PRとして、全国での出演が始まる)
昭和59年(1984年)
松岬賞受賞
昭和60年(1985年)
上野駅や横浜松坂屋での観光キャンペーンスタート
平成元年(1989年)
米沢市制100周年記念式典において功労賞受賞
平成元年(1989年)
上杉まつりの川中島合戦の上杉謙信役を佐藤仁(2代目)が務める。
平成03年(1991年)
初代代表である佐藤幸吉郎死去し、佐藤仁が2代目代表になる。
平成04年(1992年)
山形新幹線開通、べにばな国体関連イベント出演
平成05年(1993年)
米沢駅新駅舎オープニングセレモニー出演
平成06年(1994年)
名古屋、東海地区キャンペーンキャンペーンスタート
平成17年(2005年)
愛・地球博 愛知万博に出演
平成19年(2007年)
刑務所慰問に対し、法務大臣より感謝状受賞(3度目)
平成21年(2009年)
上杉太鼓が大河ドラマ「天地人」のBGMに使用される。
平成28年(2016年)
上杉まつりの川中島合戦の上杉謙信役を佐藤仁一(3代目)が務める。
平成30年(2018年)
民謡一家70周年記念自主公演「祭の音」開催
平成30年(2018年)
2代目代表の佐藤仁が米沢市功労章受賞
令和04年(2022年)
佐藤仁一が3代目代表となる。
令和05年(2023年)
民謡一家75周年記念自主公演「紡ぐ音」「祭の音」開催
令和05年(2023年)
初海外!!米沢市のPRの一巻として台湾で3代目佐藤仁一が演奏

メンバー

・佐藤仁一(代表)
・佐藤仁(前代表、父)
・佐藤照美(母)
・佐藤幸江(伯母)
・佐藤公美(姉)
・佐藤夏実(妻)
・佐藤華(長女)
・佐藤美羽(姪)
・増川順子(伯母)
*代表からみた家族構成

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